あたたかい笑顔
笑顔って伝染すると思いませんか?
他の表情も、人の顔って鏡みたいだなぁと思うことがあります。
今日新任の挨拶で、ドキドキ。
私、こうゆうの本当に苦手なんです。
喋ってる途中で何言おうって訳わかんなくなっちゃったら、前にいたおじさんがニコって笑ってくれて。
着いたときちょこっと話しただけなのに、めちゃくちゃ心強かったーーーー
こういうとき思う。
嬉しい。私もそうしようって。
自分のことは中々うまくできないけど、
誰かが同じような想いをしているとき、そっとフォローしてあげられる人になりたい。
そして、笑顔を伝染させていく発信源でありたい。
この1年ぐらい、とことん向き合ってきて、見えた一つの答えは“自分がどうありたいか”、
それを自分の中ではっきりさせておくことが大事だということです。
これは“どうなりたいか”とはちょっと違うくて、 “どうありたいか”です。
もう少し付け足すと、“どういう存在でいたいのか”ということだと思います。
“自分がどういう存在でいたいのか”
これを自分の中ではっきり持っておくと、状況が変わらなくても、今、自分がどうすればいいのかが分かるので、すごく楽になれます。
それだけですごく安心するんです。
私は、私が出逢う人、1人1人に、笑顔を伝染させてしまうような、そんな人でありたい。
その人にいろんなことがあって、悲しい顔や、怒っている顔、疲れている顔をしていても、パッと笑顔を伝染させてしまうような人でありたい。
だって笑顔になれたら、「なんとかなるか」とか「もうちょっとがんばってみようかな」とか「まぁいっか、大丈夫か」って思えたりするから。
不思議だけど、パワーは偉大です。
明日からも、笑顔で過ごせる自分でいたいな。
笑顔になれないときの自分も受け入れながら。
I'm back 魂が心地いい場所
いろいろ縁があって、以前住んだことのある街に戻ってきました。
出発前は、プライベートのことも仕事のことも、これでいいのかな、と分からなくなったり、準備があまりにもバタバタ過ぎて、疲れ果ててもう行きたくないとまで思ったり。
でも不思議なことに着いた瞬間から、あーーーやっぱり私ここが好きだ!と笑顔になっちゃうような出来事がどんどん起こり、とっても幸せな気持ちで今ここにいられることが、とても不思議であり、とてもとても神様に感謝せざるを得ません。
決して便利や快適さがあるようなところではないし、むしろやっかいなことも多いし、私が大好きな自然にあふれてるわけでもないし、大事にしてる食生活もきっと理想的なことを実現するのはここでは難しい。
なのに、なのに、ここにいるだけで私の中の何かがすごくすごくワクワクしてて、その理由は頭で考えてもはっきりとは分からない。
まさに、魂が心地いい場所なのだと、そう表現するのがぴったりな気分なのです。
たぶん慣れてきたら、「やっかいな部分」に振り回されたり、嫌になったり、そんなこともあると思う。
でも、そんなことも含めてこの土地が、私にとって特別で大切になるような、そんなとっても素敵なことがたくさんここで起こるような気がしてならない。
うわぁーーー楽しみ(笑)
今日からお世話になります。
どうぞ手加減してね。よろしくね。
認知行動療法
今年度から、仕事の関連で心理学系の勉強をしています。
以前も心理学は勉強したことはあるのですが、
”実践的なもの”というのを真正面から心理学としてやるのは久しぶり。
この中で「認知行動療法」というのがあって、
なるほどなぁ~と自分のことに重ねてみても思うところがあったのですが、
ふ~んたしかに。ぐらいで終わらせてしまいそうなので、せっかくなので自分で書いてまとめつつ、シェアさせていただきたいと思います。
理論とかはすっとばして、やり方の部分だけ説明しますね。
まず、「問題」があった「環境(状況)」について書きます。
いつ、どこで、何があったのか。具体的なひとつの場面に絞って書いていきます。
例えば、「〇月〇日〇時、家のリビングで、〇〇していたとき、(人物)が外から帰ってきて「〇〇」と言われた」などです。
ここには事実だけを書くのがポイントです。
(*紙の左真ん中に書くと整理しやすいです)
次に、そのときどんな「考え」が浮かんできたか、箇条書きにして出していきます。
考え出したこと、ではなく、勝手に浮かんできた考えを書くのがポイントです。
「なんで私ばっかり言われなきゃいけないの!?」とか「私はどうせダメなんだ」とか「今日もまたか…」などです。
(*これを「環境」の右ナナメ上に書きます)
そうしたら、そのときの「気分」を書きます。
気分とは「不安」とか「憂鬱」とか「罪悪感」など一言で表せるようなものです。
書き終わったら、それぞれの気分について、0~100%でどのぐらいの強さなのか横に書いておきます。
(*これは「考え」の右隣に書いておきます)
次は、「身体症状」です。
「涙が出た」とか「顔が赤くなった」とか、そのようなものが含まれます。
(*これは「環境」の右ナナメ下、「考え」の下に書きます)
最後に、自分がそのときとった「行動」を書きます。
「大声で怒鳴り返した」とか「黙ってうつむいた」とか「部屋から出ていった」とか。
(*これは「身体症状」の右、「気分」の下に書きます)
ここまでで作業はひと段落です。
そして、ふーとひと息。第2ラウンド。
また同じように、最後に書いた自分がとった行動の後、「環境(状況)」がどうなったのかを考えます。そして、「考え」、「気分」。
だいたいの場合、どんどん続いていき、悪循環になっていること。自分の問題場面にパターンがあることに気付きます。
まずは、問題をこうして書いて見えるように並べてみて、
客観的に、少し問題と距離をとれるようになることが大切だそうです。
ここで、もうひとつ大事なのが、自分がこの悪循環を切るために変えることができるのは、「考え」と「行動」の部分なんだと気づくことです。
これが認知行動療法なのです。
よくありがちなのは「気分」を変えなきゃいけないと思うこと。
「身体症状」と同じように、「気分」は自然に出てくるものなので、変えようとするのはすごく難しいです。
その変わり、「考え」の部分を練習して少しずつ変えていくことによって、「行動」も少しずつ変化させ、悪循環を切っていくのが、認知行動療法というやり方です。
それでは具体的に、その練習法を説明しますね。
まず、書き出した「考え」の中から、「1番絶対そうだ!」と思う考えを選びます。
そして、その考えの「根拠」をひとつずつ、書き出していきます。
「〇〇だから」という感じで、思いつくままにどんどん書いていきます。
ひと通り出尽くしたら、次は「反論」を書いていきます。
これがちょっと難しいなと思ったのですが、
「本当に?」「そうだとは言えない根拠は?」などと自問自答していきます。
ちょっと行き詰ってしまったら、「友達に相談したら何て言われるだろう」って、他の人の目線で考えてみると、うまくいくときもあるようです。
ここもがんばって、出尽くすまで書いてみます。
1つがんばってみつけると、その次も出てきやすいです。
そして両方書けたら、その両方を見て、バランスをとりながら「現実的な考え」を作っていきます。
例えば、ちょっと恥ずかしいですが、自分が書いたものを。
考えは「もうやっぱりダメなのかも」です。
根拠には「変われていない」「また同じ」「何度やってもダメ」と書きました。
反論には「少しずつ変わってる」「それでもここまでやってきた」「いつからだってやり直せる」と書きました。
=「現実的な考え」
「変われていないところもあるけど、少しずつ変わってる」
「たくさん失敗を繰り返してるけど、それでも諦めずにここまでやってきた」
などです。
(*説明を読んでいた限り、「根拠」ではもう少し事実的なことを書くようでしたが、私はひとまずこんな感じでやってみました)
なるほど。
いいなと思ったのは、”両方のバランス”をとるところです。
今までにも何回か書きましたが、人って苦しいとき、無理矢理「ポジティブにならなきゃ」って考えると、そうできない自分を責めてしまって、余計苦しくなることってあると思うんです。
だからこそ、両方のバランスをとることで「現実的な考え」作るっていうのが、無理がなくていいなぁと思ったんです。
そして最後に1番とも言える大事なステップ。
最初のところで書いた「気分」。それについて、もう一度、今それぞれについて0~100%で書いていきます。
すると、本当に不思議。何も環境や状況が変わったわけではないのに、こうやって書いて整理してみるだけで、全部%が下がってたんです。
もちろん0%にはならないことの方が多いと思います。
でも、例えば「不安」が90%だったのが、70%になっただけでも、すごいことだと思いませんか。気持ちがとってもラクになっているということです。
数値という目に見えるわかりやすい形で、変化を自分で実感・認識することも、とても大切なプロセスとしては欠かせないところだと思います。
ひとまずちゃんちゃん。ということで、これが認知行動療法の一例だそうです。
たぶん、また同じ場面になったら、いつものパターン化されている自分の癖でまた悪循環のループに同じように入ってしまうこともあると思います。
そんなときに、ちょっとずつ、このことを思い出して、悪循環のループにはまってることに気付く、冷静になる、客観的に見る、自分で作った現実的な考えを思い出してみる、また書き出してみる。そうやって何度も練習して使えるようになっていく、それも認知行動療法の特徴でもあります。
今回私が思ったのは、これもこのblogでいう”心地いい考え”にたどり着く、ひとつのツールとして使えるな、ということです。
特に自分はひとつのことをずっとやり続けるのは苦手なので。
たくさんの引き出しのひとつになれば。それはそれは意味のあることだと思います。
たくさん書いて、腕つかれた(笑)
けど誰かに説明すると(してる気分でもいいのかな?)、より自分の理解が深まるって言いますもんね。
うん。よかった。
今日のは備忘録的なまじめな感じで、おしまい。
振り返る
もうすぐ1月も終わり。はやいですね。
でも、2017年は、いままでよりもずっともっと、
1日1日を丁寧に生きてこられた気がします。
日々起こるいろんな出来事に対して、感じる気持ちの1つ1つに、
少しづつ丁寧に向き合えるようになってきたかなぁと思っています。
今までの私はそれができなくて、できていないことも気づいていなくて、
すごく苦しい時期もありました。
でも、今はちょっとずつ、ちょっとずつなんですが、それが変わってきました。
まだまだドーンって落ち込むことも多くて、パニックになって、前みたいに戻ってしまった錯覚におちいることもあるけど、それでもちょっと落ち着いてみたら、やっぱり前の自分とは違うことに気付く自分がいる。
ぐるぐる、進んだり戻ったり全然違うようなところに行ったり、
そんな気持ちになることもあるけど、日々、1日1日前に進んでるんだなって。
がんばってる。えらいぞ、自分!
もうすぐ月末ということもあって、自分が書いているこのblogを読み返してみたんです。
そしたらなんか自分の言葉に自分ではげまされちゃって笑
そうそう!そうだ忘れてた。そうだった!っていろんなこと思い出しました。
ありがとう。毎日いろんなことにがんばって、必死に向き合って、感じて考えて行動してきた自分に本当に感謝。
不思議なんですが、毎日、自信をもって、いろんなこと悩みながら生きていっていいんだって思えました。
大丈夫だって。落ち込むことやワーってなることがあっても大丈夫だって。
このblogで”書く”ということにも、ずいぶんと助けられたなぁと思います。
いま、自分の心の中にある気持ちを、1つ1つ丁寧に言葉にしていく。
なかなか”言葉にする”って難しくて、だからこそ、丁寧に、丁寧に、自分の気持ちと向き合う。
ありきたりな表現の言葉を使って書いていると、ひっかかる瞬間がある。
そこでもう1度、自分の心の中の気持ちと向き合って、しっくりくる言葉を探してみる。
ちょっと日本語的にはもしかしたらない表現や、ひらがなにしてみたりカタカナにしてみたり、アルファベットにしてみたり。
まだまだ100%気持ちそのままの言葉にはできないけど、小さな違和感を大事に、これからも「言葉にする作業」続けていきたいと思います。
言葉でも、行動でも、芸術家ならアートでも、
自分の心の中にあるものをそのままに、ありのままに表現できた!と思える瞬間って
とっても”心地のいいもの”なような気がします。
考えてみれば、仕事でもそう。
自分の想いを、理想を形にできたとき、ものよごい気持ちよさと達成感、やりがいを感じます。
ちょっとずつ仕事でもプライベートでも、そんな風に自分の心の中にある想いを、
現実に、形にしていけたらいいなと思います。
その1つとして、blogの、この場があること。心から感謝です。
1か月終わって、ふーとひと息。
ゆっくり時間をとって振り返りながら、また来月に心を向けていきたいと思います。
朝日が見える窓
今日はいつもよりちょっと遠くに出張なので、早起きでした。
目が覚めたとき、まだ外はまっくら。
「おふとんから出たくないっ」ってまるまってるのは、
なんだかTHE冬!って感じでちょっと楽しい。
今日は早起きしたおかげで、ごほうび。
朝日が見えました。
朝日といっても地平線からは見えず、雲や空が神秘的に染まっていくところ。
朝日や夕日のときの、雲や空の色って、本当になんとも言葉では現わせないほど、神秘的でただただ美しい。
心の中も、なんと現わしたらいいのか、どんな感情なのかはわからないけど、
とても満たされた感じ、なにかが浄化されて、もっと自分を超えた大いなるものとつながっているような、守られているような。
書いてたらなんだかもっと自然に囲まれた場所に住みたいなぁと思って、うずうずしてきました。真剣に考えよう。
今日も新しい気持ちで1日のスタート。
素晴らしい1日となりますように。
涙
涙って顔のどこにたまってるんだろうって不思議に思ったことありませんか。
泣いても泣いてもどんどん出てきて、脱水症状になるんじゃないかってくらい。
それにしても、涙の力ってすごいなって思うんです。
悲しいことがったとき、それがうまく言葉にできなくても、
涙がでるってすごく健全で、私は我慢せずに”泣ける”って強いと思います。
自分が感じていることに躊躇せず、そのまま表現できる。
そのことで、心の中の何かが癒されたりする”心地いい”感覚もあります。
「泣いたって何も解決しない」っていう人もいると思います。
私は、まず自分の気持ちを認めて、受け入れて、出すというのは、
何より大切にしたいと考えていることです。
子どもは特に泣きたいときに思いっきり泣ける子であってほしいと思う。
大人になっても泣きたいときは、自分との時間で泣いていいと思う。
悲しいことがあっても、傷ついても、そんなことを感じていないようなフリをできるようになることが大人?
ううん。きっとそれを受け止めてあげることを、自分自身でできるようになることなんじゃないかなって今は思います。
自分の子どもの頃、周りの大人に本当はそうしてほしかったのにそうしてくれる人がいなかったという深い記憶の傷があります。
大人になってもそこの”満たされなさ”が急にワーって出てきて、それを過剰に求めたり、くれない近しい人に攻撃的な気持ちになってしまうことがあります。
でも、その”満たされなかった想い”はきっと、ちゃんと今からゆっくり、自分で満たしてあげることができる。
きっとそう思います。
悲しい気持ちにとことん付き合ってあげましょう。
いっぱい褒めて、いっぱい励ましてあげましょう。
きっと今からでも、自分で自分の人生を生きられるようになる。
大丈夫。
きっと未来は、今よりもっとよくなる。
気づき
最近、ごちゃごちゃぐるぐる考えて、
ふっと「気づき」が降りてくる瞬間がすごくよくあります。
思い返してみると、最近すごくよくある。
”気づき”って、私の中でとても大事なものです。
きっと前に書いた言葉でいうなら、
「絡まっていたものが、ほどけた瞬間」
「そのぐちゃぐちゃに覆われて見えていなかった、中心にある1番大切なもの」
逃げずに向き合って、気づきがあった瞬間というのは、
とても奇跡のような、神さまが応援してくれてるような、そんな気持ちになります。
大丈夫だ。前に進んでいける。そう自分に自信が持てる。
”きれいごと” や ”正しいこと” は、考えているとそれを答えに置いてしまいそうになるけど、
きっとそうじゃない。
自分の中に元々ある、1番自分が大切な価値観と自分の経験や外の世界で見聞きしたものが、リンクしてつながった瞬間、
何らかの感覚でしかなかったものが、気づきとして「言葉」になった瞬間、
それは本当の意味で自分のものになる。だから前に進める。
ああ本当にこういう瞬間、お祈りしたくなります。心から。
本当に本当にありがとうございます。
自分を高め、ほかの人のため、社会のため、エネルギーを広げられる人になります、と。
私は考えることをやめたくない。
苦しくなることの方が多いし、頭>感覚になってしまうことも多い。
だけど、私は考えることをやめたくない。
きっとそれは諦めたくない、ということ。
自分の感覚で100%生きられるように近づけるように。
そのことを諦めない。だから、私は考えることをやめない。
今日というこの日に本当に感謝。
私もいっぱいいっぱいがんばったよ。
明日もこれからも、きっと自分の力で乗り越えていける。
そう自分をはげまして、勇気づけながら、今日ゆっくりぐっすり眠りたいと思います。