“心地いい”を探す旅

”心地いい”を探す旅

 

 

改めて、このタイトルについて考えていました。

 

 

毎日毎日いろんなことがあって、

 

 

いろんな気持ちになって、

 

 

いろんなことを考えて。

 

 

いつもいつも”心地よく”いるってなかなか難しいですよね。

 

 

「心地よくいなきゃいけない」だと、

それこそポジティブ・シンキングと同じで逆に苦しくなっちゃいます。

 

 

”心地よくいられていない自分”を認められない状態ですもんね。

 

 

でもだとすると、”心地よくある”ということは、

”心地よくいられていない”自分も含めて、どんな自分でも認めてあげられるようになるということなのかもしれません。

 

 

どうなんだろ。

 

 

もっときっと”ラク”にいられる生き方があるはず。

 

 

もっと自分も他人も傷つけることなく、いられる方法があるはず。

 

 

これからも、“心地いい”を探す旅は続きます。

 

 

 

私の好きなことわざに、こういうものがあります。

 

 

”Kupotea njia ndiko kujua njia”

 

 

スワヒリ語(東アフリカで使われている言語)のことわざなのですが、

直訳すると、こんな意味があります。

 

 

”その道に迷うこと、そのことがまさにその道を知るということである”

 

 

まさにその通り。すごく物事の、とくに人が生きるということの、真理をついた言葉だなぁと思います。

 

 

 

”その道に迷うこと、そのことがまさにその道を知るということである”

 

 

 

私はいま、“心地いい”を探す旅に出て、

いままさにちょっと迷子なのかもしれません。

 

 

目的地の風景は目に浮かぶのですが、そこがどこにあるのか、どの道を通ったらそこに近づけるのか、わかりません。

 

 

今だって、「あっこっちかな」と思ったら「あれ?違う…?」と思ったり、だいぶ前に通ったところに気付いたらもう1回いたり。

 

 

目的の場所に近づいているのか、遠ざかっているのか。

 

 

ううん。遠ざかってるってことはありません。

 

 

私は出発したんです。

 

 

いつたどり着けるかは分からないけど、それでも”心地いい”を探す旅に、私は出発したんです。

 

 

途中で出会う小さな奇跡のよろこびを楽しみながら。

 

 

いっぱい寄り道しながら。

 

 

いっぱい休憩しながら。

 

 

私にとっては、この旅に”出発したこと”に大きな意味がありました。

 

 

 

”Kupotea njia ndiko kujua njia”

 

 

”その道に迷うこと、そのことがまさにその道を知るということである”

 

 

 

これからも、私は “心地いい”を探す旅を、続けていきます。

 

 

海の見える場所

最近、調べ事をたくさんしていて目がパチパチするので、blog更新をさぼっていました。

 

それとちょこっと関連するんですが、ただいま鎌倉への旅行を計画中。

 

鎌倉は1回だけ行ったことあるんですが、すぐに気に入っちゃって大好きな場所なんです。

 

今からすっごく楽しみでワクワク・ワクワク。

 

どこが好きってうまく言い表せないんですが、

街の感じとか、かわいい小物屋さんがたくさんあって、おいしいものがたくさんあって、お寺もすてきで、自然もあって、何より海が見える!

 

私はうお座だからなのか、海が見える場所が大好きなんです。

 

湖とか川とか、水があるところはどこも好きですが、

何よりやっぱり海が好き。

 

見ているだけでおだやかな気持ちになれるし、波の音をいつまでも聴いていられる。

 

あー!書いてるだけで、どんどんワクワクしていちゃいました。

 

思いっきり満喫するために、それまでにいろんなこと終わらせるぞー!

 

おー!

 

 

 

 

生きるを考える

「死にたい」って思ったことありますか。

 

私はあります。

 

 

程度はさておき、日本の社会ってなんだか「死にたい」って簡単に出てきてしまう言葉なような気がします。

 

冗談として口にして出せて、笑ったり。

 

いろんなネガティブな感情がすぐ「死にたい」という言葉に変換されてしまったり。

 

 

どうでしょうか。

 

 

”死にたい”って感じている状態は、きっと”心地いい”からは遠いところ。

 

 

本当の気持ちはどうであれ、「死にたい」という言葉を選んでしまう心の状態も、きっと”心地いい”からは遠いところ。

 

 

だけど、いろんなネガティブな要因から”解放されたい”という願いを込めて発せられるその「死にたい」は、もしかしたら”心地いい”を追い求めているような気もしたんです。

 

 

だから今日はまたあえて”死にたい”という気持ちについて向き合ってみたいと思います。

 

 

”死ぬ”ことの対極にあるのは”生きる”だと思うのですが、

「生きたい」と思うのはきっとなんらかの理由で”死”に直面したときですよね。

 

 

私は「生きたい」と強く意識したことがないので想像ですが、

きっと病気になって余命を宣告されたときとか。

 

 

じゃあ「死にたい」って思うときも、”生きる”に直面したときなのでしょうか。

…あんまりピンとこないですね。

 

 

でも考えようによってはそうなのかもしれません。

 

 

”生きる”上で当然そこにあって、きっと避けては通れないものに直面したとき。

 

それは、大切な誰かとの別れだったり、孤独だったり、何かに失敗してしまったことでの恥だったり、何かを失ってしまったことでの喪失感や虚無感だったり、自信をなくしてしまうことだったり、自分の存在意義が分からなくなってしまったり、未来への希望が持てなくなってしまったり。

 

 

これらは全部きっと生きていく中で必ず出会うものたち。

 

 

だけど、いろんな事情と、いろんなタイミングで、いろんなものがいっぱい重なって、正面からそれらのものとぶつかったとき。

 

 

いつもはうまくかわしたり、ごまかしたり、乗り越えたりしてるのができまくなって、

「死にたい」になってしまうのかなと思いました。

 

 

でも正直よく分かりません。

 

 

よく分からないんです。

 

 

「死にたい」の言葉が出てくるときは、本当に「死にたい」という言葉でいっぱいになってしまって、本当の気持ちをみつけてあげるのが難しい。

 

 

どの気持ちに寄り添ってあげればいいのか分からないけど、”死にたい”ってきっと何かを訴えてるんですよね。苦しいとか疲れたとか。

 

 

このblogは「 ”心地いい”を探す 」がテーマなので、

今回のタイトルも「生きるを考える」にしました。

 

 

きっと深い深い自分のコアな部分に関わる問題なので、すぐに答えは出ないでしょうが、「生きるを考える」ならば、今ひとまずの答えは、

 

 

「 ”死にたい"と思う気持ちも抱えながら生きていく」

 

 

ということでしょうか。

 

 

今は469時中「死にたい」という言葉があるわけではありません。

 

 

でも、まだふとした時に出てきます。

 

 

きっと私の中に癒されていない心の傷があって、何かを訴えてるんだと思います。

 

 

だから、そのことはゆっくりゆっくり大切に聴いてあげたい。

 

 

「死にたい」という言葉を無理に消そうとしなくていいし、そう思う自分がいることも否定しなくていい。

 

 

 

「 ”死にたい"と思う気持ちも一緒に生きていく」

 

 

 

「生きるを考える」とは、

”死にたい”と思うことも含めて、まさに ”今、生きている” ということなのかもしれません。

 

 

今日も空は高く、青くてとてもきれいです。

 

 

そしてこの瞬間も、どの瞬間も、変わりゆき、だからこそ美しい。

 

 

今日も私は生きています。

 

 

いろんな気持ちを抱えながら。

 

 

それでも私はいま、生きています。

 

 

enra

2017年が始まって、今年最高にドキドキしたもの。

 

 

”enra"

 

 

みなさん、ご存じですか。

 

私は全然知らなくて、たまたま見ていたお正月番組で見て鳥肌立ちました。

 

 

パフォーマンスと映像がひとつに融合した表現が特徴のパフォーミングアーツカンパニーとのこと。


 

映像を実際に見ていただくのが1番!

 

 

TVで放送していたのは、パフォーマーがenraではないんですが、

すごくよかったので、ぜひ!

https://www.youtube.com/watch?v=SYycMzxTupI

1:37:20 ~ がenraです。

 

やっぱりすごく動きが美しいなぁと思うのは、

新体操の畠山愛理さん。本当にきれいです。

 

 

enraの作品も、HPで見れます。

http://enra.jp/works

 

お気に入りは、”pleiades” です。

 

 

 

新年早々興奮して、さっそくLIVEのチケット買っちゃいました!!

 

今からドキドキ・ワクワク楽しみです!!

 

 

ほんとうに幸せになるチャンス

毎日いろんなことが起きます。

 

 

毎日いろんな感情にぶつかります。

 

 

人生けっして”心地いい”ことだけじゃない。

 

 

だけど、きっとすべては ”ほんとうに幸せになるチャンス”

 

 

"心地いい”を探す旅、これからも続けていこうと思います。

 

 

今の自分が1番好き

月・火とじっくり自分の気持ちと向き合っていました。

 

 

”自分の気持ちと一緒にいる”

 

 

前は全然できなくって、自分を責めてばかりだったけど、

やっと最近になって、できるようになったなぁと実感しています。

 

 

それでね、タイトルにある ”今の自分が1番好き”

 

 

この言葉は、去年の年末に1年をいろいろふりかえっていて、

すとん と胸の中に降りてきた言葉なんです。

 

 

たしかにね、瞬間だけ考えると、これまでに今よりもっと「幸せだった時期」はあったと思います。

 

 

大好きな彼とうまくいってて何の未来への不安もなかったとき。

 

 

やりたかった仕事に就き、毎日バリバリこなして充実してたとき。

 

 

大好きな友達と旅をしながらかけがえのない体験をたくさん共有したとき。

 

 

たまに、というか正直に言うと、よく、

「あの頃に戻りたい」とか「なんであれをダメにしてしまったんだろう」と

後悔してしまうことや、今それを失ってしまった状況と比べていてもたってもいられない気持ちになることがありました。

  

今でもまだあります。

 

 

でもね、それでも私の胸の中にあったのは ”今の自分が1番好き” だったんです。

 

 

 

”今の自分が1番好き”

 

 

 

今の方がずっとずっと自分の気持ちによりそってあげれるようになった。

 

 

自分のことを、自分自身がもっともっと大事にしてあげられるようになった。

 

 

 

今まで生まれてきてからずっと、それをしてあげられることができずに生きてきた。

 

 

 

”自分の気持ちを1番に大事にしてあげていい”

 

 

やっとそう自分に許可してあげられるようになったんです。

 

 

 

すごい成長だと思いませんか。

 

 

私は自分のことをうーーーーんと褒めてあげたい気持ちでいまいっぱいです。

 

 

えらいぞ。やったぞ。いいぞ。その調子!!

 

 

 

応援団は自分自身です。

 

 

そしてこれからの私の未来で(再び)出逢う、たくさんの人たち。

 

 

 

待っててね。

 

 

 

ゆっくりゆっくり今日も進んでいきます。

 

 

寂しさ 2

昨日あの後、実は続きがあったんです。

 

気づきがあったときは、確かに”寂しい”ともう感じてなかったんですが、

そのワクワクが落ち着くと、実はまだちゃんと寂しいちゃんは私の心の中にいたんです。

 

やっぱり私に何かを伝えようとしてるんですね。

 

でもね、”寂しいけど、心地いい”状態だったんです。

 

さっそく気づいた方程式が壊れました(笑)

 

”寂しいけど、心地いい” が一緒にいれたんです。不思議ですよね。

 

それで改めて思ったんです。

 

やっぱりどんな感情でも、追い出そうとせずに、悪者扱いせずに、

何を伝えようとしてるのか聞こうとしてあげることが大事だって。

 

今日もそんなこんなでちょっぴりテンションは低め。

 

引き続き、ちょっと”寂しい気分”な1日でした。

 

でもね、気づいたことがあるんです。

 

まだまだ自分の中で癒えてない傷が、心の中にあるんだって。

 

小さいときのことだったり、最近のことだったり。

 

1日ちょっとあったことのもやもやとかは、このblogに書いて整理したり、そんなことでもすっきりできちゃうけど、

本当に心の傷になってることは、焦らなくていい。もっともっと時間をかけて、ゆっくりゆっくり癒していけばいいんだと思うんです。

 

泣いたり、言葉にしたり、満たしてあげたり、誰かに聞いてもらったり。

ずっとそのことを考えてなくても、ふとした瞬間になにかとなにかがつながって、「あ、」ってなるようなときもありますよね。

 

だから、落ち着いて、ゆっくりゆっくり。

 

きっと無理にいま、すべてを乗り越えようとする必要はないんだと思う。

 

今までの自分を全部変えて新しい自分になる必要もないんだと思う。

 

今までいっぱいいっぱい傷ついてきたこととか、満たされなかったこととか、

そんなものも全部ひっくるめて、

いまの自分と一緒にいてあげたいと思う。

 

大丈夫だよって。ずっと一緒にいてあげるから大丈夫だよって。