心のすきま

なるべく毎日書いて(自分が感じていることを言葉にして)、

自分を整えようって決意し直したのも束の間、

自分で自分を忙しくさせて、あっという間に数日経ってしまった。

 

なんでなんだろう…

 

やっぱり心を整えなきゃいけないときほど、

向き合うことに居心地が悪くなってしまってすぐ逃げ出してしまう。

 

その先には、心地いいがあるって経験から分かってるはずなのに。

 

なのに向き合うことに、すごくすごくエネルギーがいる。

 

 

でも今の私は正直言って調子がよくない。

自分でもちゃんと分かってる。

心当たりもある。だけど、そのひっかかりが裏目裏目に出てしまってる。

また心当たりを作ってしまう。

だから、心の奥の奥でひっかかってることを、はやくほどいてあげたい。

表面ではそんなことなくても、

心の奥の奥で苦しんでる自分を、救い出してあげたい。

 

 

思うんだけれど、心が十分に満たされてないとき、

とにかく手っ取り早く、その隙間を埋めようとする。

そうじゃないといても経ってもいられなくて。

食べ物だったり、騒がしさだったり、

とにかく何でもいいから、何も考えなくていいように。

 

あ、あれなのかな。

本当の自分はどうしようもない人間だって、そこを通過しなきゃいけないのがこわいのかな…

 

いつも最終的には心地よさにたどり着けることが多い。

だけど、その前にはかならず、自分のいろんな面に向き合うことを乗り越えなきゃいけない。

嫌な面も見る。変わってないじゃんってがっかりして、もう絶望的な気持ちになることもある。

それを乗り越えなきゃたどり着けないんだ。

 

 

言ってみればきっと登山と同じなのかも。

どんなに「頂上に行ったらすごくきれいな景色が見えるよ!」って言われても、

今すごくつかれていて立ち上がれないぐらいだったら、

その先にどんな絶景が待っているか分かってても、やっぱり立ち上がって1歩を踏み出すのはすごく辛い。

「ほら、行けば絶景が見れるんだから」って言われても、やっぱりしんどい。

その気持ちを分かってほしいと思う。

 

だから、そんなときには無理して絶景を見に、山に登らなくてもいいのかもしれない。

 

それよりも、「つかれてるんじゃない?ゆっくりやすんで。がんばりすぎだよ!ゆっくりやすんで、元気になったらまた一緒に登りに行こうよ」

そう言ってもらえるほうが、ずっと安心できる。

 

そうか。つかれてるんだ、わたし。

いつもがんばってくれてありがとう。また、わすれてたね。

いつも、自分が思ってる以上に、いろんなこと毎日毎日がんばってること。

 

まずは自分にやさしくなることから。

この週末は、おいしい料理を作ってあげよう。

掃除はできなかったら、また来週でもいいや。

ゆっくりやすんでいい。いつもがんばってるよ。

 

ゆっくり深呼吸して、自分の時間を取り戻そう。

 

週末までの残りの日、がんばらなきゃ、できてないってあせらなくていい。

あなたは、じゅうぶんがんばってるよ。

いまは、自分にできることを1つずつ1つずつ、丁寧に、ゆっくりやっていけばいい。

あせらないで、だいじょうぶ^^

 

しんどくなったときは、休憩してもいい。

そんなこともわすれてたなんて。ほんとうにがんばりすぎだよ。

がんばりたくてもがんばれないときは、やすんでもいいよ。

いっつもいっつも全力でがんばってなきゃいけないなんてことはない。

ゆっくりやすむときがあってもいいんだよ。

 

ゆっくりゆっくり呼吸して。

 

大丈夫。この土地は絶対私の味方になってくれるから。