自分を知る −ストレングス・ファインダー(2)

前回に引き続き、「ストレングス・ファインダー」のお話です。

 

私は、この本の前書きにある、この言葉がすきです。

 

「弱点を直すことを中心に回っている世界で生きることには、もううんざりしていた。

社会は常に人々の短所に焦点をあてる。世界中の人々は皆、その考えから離れられないようだった。

 

しかし、私たちはもっと大事なことを発見した。

短所ではなく長所を伸ばすことにエネルギーを注いだほうが、人何倍もの成長を手にすることができるのだ。」

 

 

この本の副題は、 

「さあ、才能(=じぶん)に目覚めよう」 です。

 

 

* * * * *

 

今日は2つめの資質 「 未来志向  Futuristic 」

 

「もし・・・だったっら、どんなに素晴らしいだろう」

とあなたは水平線の向こうを目を細めて見つめることを愛するタイプの人です。

 

未来はあなたを魅了します。

まるで壁に投影された映像のように、あなたには未来に待ち受けているかもしれないものが、細かなところまで見えます。

この細かく描かれた情景は、あなたを明日という未来に引き寄せ続けます。

たとえば、より品質の高い製品やより優れたチーム、よりよい生活、よりよい世界といったこの情景の具体的な内容は、あなたの他の資質や興味によって決まりますが、それはいつでもあなたを鼓舞するでしょう。

 

あなたは、未来に何ができるかというビジョンが見え、それを心に抱き続ける夢想家です。

現在があまりにも失望感をもたらし、周囲の人々があまりにも現実的であることがわかったとき、あなたは未来のビジョンをたちまち目の前に呼び起こします。

それがあなたにエネルギーを与えてくれます。

それは他の人たちにもエネルギーを与えます。

事実、あなたが未来のビジョンを目に浮かぶように話すのを、人はいつでも期待しています。

彼らは、自分たちの視野を広げ、精神を高揚させることができる絵を求めています。

 

あなたは彼らのためにその絵を描くことができます。

練習しましょう。

言葉を慎重に選びましょう。

できる限りその絵をいきいきと描きましょう。

人々はあなたが運んでくる希望に飛びつきたくなるでしょう。

 

 

 

行動のアイディア(要約版)→

・未来に関するアイディアが役立つ職務を選ぶ。

起業やプロジェクトの立ち上げなど。

・未来について考える時間をとる。

具体性を高め、説得力を高める。

・未来に関するあなたのアイディアを深く理解し、話を聞いてくれる人を探す。

彼らの期待があなたの原動力になる。

・同じ<未来志向>の資質が高い友人や同僚を見つけ、1ヶ月に1時間ほど「未来」について議論する時間をもつ。お互いの考えをより独創的でより具体的なものに高め合う。

・<活発性>の資質の高い人とパートナーを組む。

未来は発見するものではなく、今日のあなたの行いによって生み出されるものであることを思い出す。

・ビジョンを他の人に説明するときは、具体的な言葉と事例(段階的なプラン)を用いて未来を詳細に描写する。

・あなたのビジョンを実行してたまらない人たちの中に自分の身を置く。

・未来志向の考え方を論理的に裏付ける準備をする。

ビジョンが人々に受け入れられるのは、現実的な可能性に根ざしているとき。

・ガイドやコーチになる素質。

できるだけ具体的にあなたが見た「水平線の向こう(可能性)」を共有し、前進する意欲を与える。

知識を得て、想像力の糧にする。

自分を知る −ストレングス・ファインダー

最近、「自分を知る」作業にハマっています。

 

今までは、自分のダメなところをなんとか補おうと、いつもいつも必死でした。

プラス思考を取り入れて見たり、いろいろ押さえつけて、無理やり力づくで変えようとしたり。

 

でも、

ようやく最近は、そうじゃないんだなぁってことに気が付き始めました。

 

みんな、みんな、元々とっても素晴らしい存在なんだって。

 

 

自分が、どういう存在なのかを知ること、まずはこれからだなぁって感じています。

 

* * * * *

 

 

さっそく、本題の「ストレングス・ファインダー」 

ネットで受けられる「強み発見」のテストです。

  

主要な自分の強みが5つ出てくるのですが、今日はその1つめ。

(私の強みです^^) 

 

 

「  学習欲 leaner  」

 

あなたは学ぶことが大好きです。

最も関心を持つテーマは、あなたの他の資質や経験によって決まりますが、それが何であれ、あなたはいつも学ぶ「プロセス」に心を惹かれます。

内容や結果よりもプロセスこそが、あなたにとっては刺激的なのです。あなたは何も知らない状態から、着実で計画的な過程を経て、能力を身につけた状態に移行することでいきいきとします。

最初にいくつかの事実に接することでゾクゾクし、早い段階で学んだことを復唱して練習する努力をし、スキルを習得するにつれて自信をが強まる。

ーこれが心を惹きつける学習プロセスです。

 

あなたの意欲の高まりは、あなたに社会人学習ーヨガやピアノのレッスン、大学院などへの参加を促すようになります。

それは、短期プロジェクトへの取り組みを依頼されて、短期間でたくさんの新しいことを学ぶことが求められ、そしてすぐにまた次の新しいプロジェクトに取り組んで行く必要があるような、活気にあふれた職場環境の中で力を発揮します。

この〈学習欲〉という資質は、必ずしもあなたがその分野の専門家になろうとしているとか、専門的あるいは学術的に資格に伴う尊敬の念を求めていることを意味するわけではありません。

 

学習の成果は、「学習のプロセス」ほど重要ではないのです。

 

 

 

行動のアイディア(要約版)→

学び方を工夫してみる。

教えることで学べる→人前で発表する。熟考することで学べる→静寂の時間を持つ。 

自分自身で体験する

・学習の進捗度を記録する。

レベルアップしたことを祝福する時間を持つ。

変化を起こす人になる

新しいことから吸収したいというあなたの意欲は、新しい規則や技術を導入したり、環境を整備したりすることを後押しする。真剣にこの責任を担うこと

・技術的な能力が必要とされる仕事を探す。

専門性を習得し、維持する家庭を楽しむ。

・技術や規則が常に変化する分野にキャリアを変更する。

対応しようと挑戦し続けることであなたはいきいきとする。

・詳細がよくわからない状態でも尻込みせず、新たな状況に飛び込めるのがあなたの強み。

学習と成果の関連性の裏付けについて調査する。

学びで成長する機会があると人はより生産的になり、忠誠心が高まる。あなたやあなたのまわりの人が学習ニーズが満たされていると感じる度合いを測る方法を探す。個々人の目標に対する段階的な計画表の作成方法や、学習の達成度に応じて褒賞を与える方法を見つけ出す。

・職場の学習助成プログラムを活用する。

・学びたいという気持ちを行動に移す。

社会人講座など。毎年何かひとつは新しいものを。

・仕事や約束に邪魔されない時間に勉強時間を設定して、思う存分やりとげる!

・「有能でありたい」というニーズを満たす   

今日もまた小さな一歩を

最近立て続きにどんと落ち込むことがあったので、

週末はゆっくり癒してあげることにしました。

とにかくがんばらない。思いついたことだけやってみる。

 

この1年ぐらい、自分の気持ちを少しでも楽にするために、

必死にもがいて、いろんな方法を取り入れて試してみました。

 

自分が飽きっぽくて気分屋だからなのか、

問題の性質とツールに相性があるのか分かりませんが、

これだ!という王道のやり方ができあがったわけじゃないけど、

なんとなくそのときの気分でいろいろやってみたりしています。

 

今日もいろいろやってみてて、でもどれもピンとこなくて、

ふと思い出した「認知行動療法」をやってみることにしました。

 

これはいろいろある中でも思いっきりTHE作業って感じのもので、

ぱっとできるものじゃないんですが、今日は時間もあるし、

あれどんなだっけ?と思って久しぶりにやってみることにしました。

 

そしたらすぐ効果があって、単純な自分にちょっと笑えてラクになりました。

(※認知行動療法の詳細はこちら:認知行動療法 - “心地いい”を探す旅

 

スタート地点の考えはこれ。

「こんなにがんばってるのに何の意味もない」

 

ありがちなネガティヴ・モード全開です(笑)

 

そして、たどり着いた着地点(=認知が変わった後)がこれ。

 

「感謝なんてされないかもしれないけど、少なくともやってみた。今までと違ってがんばってみようとした、そのことがえらい」

 

「期待してた結果じゃないかもしれないけど、結果以外にも実は大切なことがあって、そのことに気付くことができた」

 

ふんふん。なんだかとっても心地いいじゃないですか(笑)

 

最初にあった気分の「不快」「怒り」「みじめさ」もしっかり下がりました。

 

 

やっていて思ったのが、「なんで人はネガティヴな考えをするんだろう」ということです。

 

前のblogにも書いたように、最近の私は、「なんでよいと分かってるのにできないんだろう」「なんで居心地が悪いのに、あえてそこから動こうとしないんだろう」ということがなんとなくいつもひっかかって不思議だったのです。

 

今回だって「こんなにがんばってるのに何の意味もない」って、

認知行動療法をわざわざしなくたって「何の」意味もないことなんてないことはよく分かっています。

「意味がある」ということは新しい発見でもなく、もう知っていたことなんです。

じゃあ、なんで…?

 

でもきっと認知行動療法をやる前から、「何言ってんの!意味はあるよ!」って言われても、きっともっと頑に耳をふさいで、「何の意味もないんだ!!!」って叫ぶだけだったと思うんです。

 

ほんとに不思議。ただの幼稚園児のだだっこみたい(笑)

 

でもここは腑に落ちる答えが何かほしいので、もうちょっと考えてみます。

 

仮説1としては、即座に「違うよ、こうだよ」と言われてしまうと、なんだか「何の意味もない」と思う出来事があった、そのときの傷ついた自分の気持ちをなかったことに、無視されているような気分になるんです。そうするととてもいたたまれなくなる。こんなに傷ついてるって分かってよって…あ、なんか今腑に落ちました。

 

「こんなに傷ついてるって分かってよ」

 

そのことを言うために、分かってほしいがために、

極端な考えを頑に主張し続けていたのかもしれない…

って全部自分の中のやり取りだから、ちょっと変ですけどね(笑)

 

自分の傷ついている気持ちと、考えに、バランスが取れないから、

そのバランスを無理やり取り戻そうとする。

 

バランスが取れていないことに、すごく居心地の悪さを感じるから。

 

その分、認知行動療法の最後に出てきた言葉だと、

「感謝なんてされないかもしれないけど、少なくともやってみた。今までと違ってがんばってみようとした、そのことがえらい」

「期待してた結果じゃないかもしれないけど、結果以外にも実は大切なことがあって、そのことに気付くことができた」

と、前半で「ーけど」付きで、ちゃんと自分の気持ちを分かってあげて認めてあげた上で、「でもさ、」って軽い感じで、次にシフトさせてあげている。

 

そのステップを踏んでるか踏んでないかで、こんなにも次に考えがシフトするときの壁が変わってくる。

 

おもしろいなぁ〜。

 

人間の本質なのかな...

学校でも、仕事でも、自分のダメなところやできていないところを指摘されるだけじゃ、なかなか分かっててもできない。

それよりも、ここすごくいいよって褒めてもらえた後だったら、よし!がんばろうかなって自然に思える。

 

人間の本質というより、やっぱり自尊心の低さなのかもしれない。

 

全面的に肯定してもらった後で、だから大丈夫だよって言ってもらえないと不安なんだ。

 

きっと慣れたら、何度もそのことを繰り返していったら、

自然といつかはもっとすっとシフトできるようになるのかもしれない。

 

そんな日が来るといいなぁ。来るかな。きっと来るよね。

 

少しずつ。少しずつ。

 

今日もまた小さな一歩を^^

 

 

心のすきま

なるべく毎日書いて(自分が感じていることを言葉にして)、

自分を整えようって決意し直したのも束の間、

自分で自分を忙しくさせて、あっという間に数日経ってしまった。

 

なんでなんだろう…

 

やっぱり心を整えなきゃいけないときほど、

向き合うことに居心地が悪くなってしまってすぐ逃げ出してしまう。

 

その先には、心地いいがあるって経験から分かってるはずなのに。

 

なのに向き合うことに、すごくすごくエネルギーがいる。

 

 

でも今の私は正直言って調子がよくない。

自分でもちゃんと分かってる。

心当たりもある。だけど、そのひっかかりが裏目裏目に出てしまってる。

また心当たりを作ってしまう。

だから、心の奥の奥でひっかかってることを、はやくほどいてあげたい。

表面ではそんなことなくても、

心の奥の奥で苦しんでる自分を、救い出してあげたい。

 

 

思うんだけれど、心が十分に満たされてないとき、

とにかく手っ取り早く、その隙間を埋めようとする。

そうじゃないといても経ってもいられなくて。

食べ物だったり、騒がしさだったり、

とにかく何でもいいから、何も考えなくていいように。

 

あ、あれなのかな。

本当の自分はどうしようもない人間だって、そこを通過しなきゃいけないのがこわいのかな…

 

いつも最終的には心地よさにたどり着けることが多い。

だけど、その前にはかならず、自分のいろんな面に向き合うことを乗り越えなきゃいけない。

嫌な面も見る。変わってないじゃんってがっかりして、もう絶望的な気持ちになることもある。

それを乗り越えなきゃたどり着けないんだ。

 

 

言ってみればきっと登山と同じなのかも。

どんなに「頂上に行ったらすごくきれいな景色が見えるよ!」って言われても、

今すごくつかれていて立ち上がれないぐらいだったら、

その先にどんな絶景が待っているか分かってても、やっぱり立ち上がって1歩を踏み出すのはすごく辛い。

「ほら、行けば絶景が見れるんだから」って言われても、やっぱりしんどい。

その気持ちを分かってほしいと思う。

 

だから、そんなときには無理して絶景を見に、山に登らなくてもいいのかもしれない。

 

それよりも、「つかれてるんじゃない?ゆっくりやすんで。がんばりすぎだよ!ゆっくりやすんで、元気になったらまた一緒に登りに行こうよ」

そう言ってもらえるほうが、ずっと安心できる。

 

そうか。つかれてるんだ、わたし。

いつもがんばってくれてありがとう。また、わすれてたね。

いつも、自分が思ってる以上に、いろんなこと毎日毎日がんばってること。

 

まずは自分にやさしくなることから。

この週末は、おいしい料理を作ってあげよう。

掃除はできなかったら、また来週でもいいや。

ゆっくりやすんでいい。いつもがんばってるよ。

 

ゆっくり深呼吸して、自分の時間を取り戻そう。

 

週末までの残りの日、がんばらなきゃ、できてないってあせらなくていい。

あなたは、じゅうぶんがんばってるよ。

いまは、自分にできることを1つずつ1つずつ、丁寧に、ゆっくりやっていけばいい。

あせらないで、だいじょうぶ^^

 

しんどくなったときは、休憩してもいい。

そんなこともわすれてたなんて。ほんとうにがんばりすぎだよ。

がんばりたくてもがんばれないときは、やすんでもいいよ。

いっつもいっつも全力でがんばってなきゃいけないなんてことはない。

ゆっくりやすむときがあってもいいんだよ。

 

ゆっくりゆっくり呼吸して。

 

大丈夫。この土地は絶対私の味方になってくれるから。

 

 

書くということ

さっきのblogを書いてから、改めて思いました。

 

やっぱりblogを毎日書こうって。

 

 

私はあんまり同じことをずっと続けるのが得意じゃなくて、

 

義務になってしまうと本末転倒だと思って特にルールは課してなかったんです。

 

 

だけど、さっきblogを書き終えて、やっぱり思った。

 

 

書くということには、こんなにも自分の心を癒してくれる力があるんだってこと。

 

 

 

特にこのblogでは、自分の心と向き合うことをテーマにしてて、

 

そして特に、自分の心の中にあるものを言葉に変換していくときに、

 

どの言葉を使うと1番自分の気持ちと重なるのか、

 

ゆっくりゆっくり自分の心と、1つ1つの言葉と向き合っていく。

 

 

そんなプロセスが私の心をすごく癒してくれていたことに改めて気が付きました。

 

 

 

最近ちょっと嫌なことがあったんです。

 

何気ない人の言葉、何気ない人の態度に傷ついて。

 

いろいろ心を守る答えを見つけて、大丈夫になったフリをしてたけど、

 

やっぱり心の中に残ってる。

 

たぶん向き合わなくても明日から生きていけるけど、

 

こういう小ちゃなキズの1つ1つを大事に癒してあげないで、

 

そのままにしておくと、理由はわからないもやもやに繋がったり、

 

急にあるとき心がいっぱいになっちゃうんだろうなぁって。

 

 

たとえば書くことで、他にもいろんな方法できっとよくなるって分かってても、

 

できないことってありますよね。

 

なんでだろう。急に気が重くなっちゃってできないことがある。

 

癒されるって分かってても、そこまでにエネルギーがいるからかな?

 

そのがんばりさえも疲れちゃってるからかな?

 

もしかしたらがんばってもうまくいかないかもしれないって恐いのかな?

 

どうなんだろう。

 

 

一応このbolgで言えば、書いてて最後には“心地いい”と思える気持ちの着地点を見つけるのが目標であり目的。

 

それがプレッシャーになってるのかな。見つけなきゃいけないって。

 

でもどうしてもしたくないのは、“心地いい”って感じられないままに、

なんとなく“綺麗事”的なところに着地してしまうこと。

 

それじゃあ意味ない。私がしようとしている生き方はそうじゃない。

 

だからこそ、そこはどうしても妥協したくないんだ。

 

 

人間ってつくづく不思議だなぁって思う。

 

 

言葉で考えて、言葉で整理して、言葉で伝えて。

 

 

だけどそれ以上に「感覚」という絶対的なものを持っている。

 

 

そういうのを考えるとき、やっぱり神様が人間という存在を創造したんだろうなぁと感じる。

 

こういう存在に創造した。

 

そこに偉大なる意味はあって意味はない。

 

なぜかそれが自分を大事にしたいという感覚につながる。

 

 

1歩進んだと思ったらまた前いたとこにいるような気がしてまた迷子になることを繰り返してる毎日だけど、

 

それでも今日という1日が実はとても愛おしいということを教えてくれる。

 

 

 

誰かを大事にするということ、自分をもっと大事にするということ、

 

 

10年後の自分はもっとうまくできているだろうか。

 

 

生きていくってきっと、こういうことなんだろうなぁ。

 

 

なんて漠然と思った。

 

 

自分と向き合い、気付きを得る。とても愛おしい時間だと思う。

 

 

そして、自分と同じように大事にしたいと思える人たちの存在。

 

 

たとえそれが1瞬だとしても、広がる世界中全てのものに対する慈悲の心。

 

 

本当は毎日こんな風に生きられたらと思うのだけれど。

 

 

まずは、書くこと、自分の心と向き合うことから始めてみよう。

 

 

自分を信じる

ここ数年、

 

「何を信じたらいいのかわからない」

 

そう思って苦しくなることが何度もありました。

 

でも結局信じるのって自分なんだなぁって最近思うんです。

 

 

誰かのこと「信じてたのに!」って、

 

最近やっと違うんだなって思えるようになりました。

 

そもそもそこから自分の選択に責任を持たずに、

 

自分自身とちゃんと向き合いきれてなかったんだなぁってなんとなく思うんです。

 

 

なにか不安なとき、先が見えないとき、

 

何か「確実なもの」がほしくて、それを外に求めてしまう。

 

 

でも本当は1番信頼できるものは自分の中にしかなくて、

 

それをどこまで自分が信じられるのかってことなんだと思う。

 

 

何か確信が持てないとき、

 

いろんな気持ちが、いろんな考えが、いくつもいくつも層になって、

 

本当の気持ちが見えなくなってしまうことがある。

 

とりあえず何かないと不安で、それっぽいのを掴もうとしてしまうときがある。

 

 

でもね、また一度立ち止まらなきゃ。

 

 

落ち着いて、焦らなくていいこと。

 

答えはちゃんと自分の中に見つかるってこと。

 

ふーーーーと深呼吸。

 

 

誰にもうまく説明できなくったっていいんだよ。

 

迷っててもいい。悩んでてもいい。

 

自分ともっと向き合ってあげる時間を作ってあげよう。

 

 

実はそういうことなんじゃないかな。

 

自分と向き合ってあげてる時間が少ないですよー!

 

って教えてくれてるのかもしれない。

 

だから寂しかったのかもしれない。

 

 

答えはちゃんと自分の中にあるんだ。

 

それを信じてあげよう。

 

 

 

答え

 

 

Love is where you go back to

(愛はあなたが帰るべきところ)

 

Dream is your direction

(夢はあなたの道しるべ)

 

Imagination gives you the wings

(イマジネーションはあなたに翼をくれる)

 

Experience is where you grow

(経験はあなたの成長)

 

Pain is to make you realize what is the most important for you

(痛みはあなたにとって1番大切なことは何か気付かせてくれる)

 

Anger is your justice

(怒りはあなたの正義)

 

Sadness is deep love inside your heart

(悲しみはあなたの心の深い愛)

 

Fear is the time to look into your heart

(恐れはあなたの心と向き合うべきときが来たことを教えてくれる)

 

Feeling is to makes your life exciting

(感情はあなたの人生を豊かにするもの) 

 

 

Failure is the proof of you tried

(失敗はあなたが挑戦した証)

 

Loneliness is the time becoming stronger

(孤独はあなたを強くしてくれる) 

 

 

What you feel, is your answer.

(あなたが感じていることが全てである)